松山の洋酒文化を育み 人を結んで60年
「1年でも長く店を開けることが恩返し」

サントリーバー露口代表

露口 貴雄(つゆぐち・たかお)さん

1936年11月26日生まれ、81歳。徳島県出身で、小学生以降は大阪市在住。「営業中は絶対に飲まないというのが主義。終わってから少し飲みます」。開店当初から白シャツに蝶ネクタイの装いを守る。(週刊愛媛経済レポート2018年11月11日号掲載)

サントリーホールディングス㈱の鳥井信宏・代表取締役副社長を発起人に9月、松山市内で「60周年記念パーティー」が開かれました。

サントリーさんとは長年にわたる特別なお付き合いですね。当店は昭和33年(1958)の創業であり、東京タワーと同級生になりますよ(笑)。

パーティーには多くの方がお集まりになられましたね。

お偉い方々に大勢お越しいただきました。若い頃に来られていた方がほとんどで、中村知事も大学生の頃に来られていましたし、野志松山市長もアナウンサー時代に来られていました。縁というのは本当に有難いですね。長くやっていないと縁はできないと思います。長くやる秘訣はとよく聞かれますが、秘訣なんていうものはないです。まずは健康で、それから継続ですね。継続という言葉が私は好きです。継続がないと60年はあり得ないです。流行を追いかけていたら60年はできないと思います。

バーを始めたきっかけは。

私は洋酒文化、飲酒文化に元々興味があって、大阪でバーテンダーの修行を行い、サントリーさんの直営店で見習いをしました。当時、サントリーさんはチェーンバーを全国展開していました。今でいうFCみたいなもので、かつて全国に1200~1300店ありました。私はサントリーさんの紹介もあり、松山に来てトリスバーでチーフバーテンダーを務めた後、1958年8月15日に「露口」を開業しました。当時のサントリーバーで今残っているのは2、3店で、当店が一番古い店になりましたね。私は初代で、他店は2代目に替わられています。初代で現役というのはここだけでしょう。

歴史を感じますね。

昭和30年代当時はバーテンダーという職業そのものがみなさんに知られていない時代です。大阪、東京でもその職業は珍しい時代でしたので、地方都市はなおさらです。
私は商売人ではなく、バーテンダーという職人です。ですから商売下手で、それは自分でもよく分かっています。それが結果的には長くやれた要因かなと思います。商売上手な人は店を何店も出しますが、私は頑固で不器用ですから2店も3店もできません。商売人と職人の違いでしょうか。

ずっと奥様と二人三脚でやってこられたのですか。

妻は松山出身です。最初は私1人でやっていたのですが、3、4年経った頃から2人です。

ご苦労も多かったですか。

がらがらの時代も10年くらいありました。一番大変だった時期はバブルの頃ですね。接待で高級なお店にお客様が流れ、当店はプライベートで楽しまれるお店なのですが、プライベートでもそちらにお客様が流れてしまいました。その時期が一番大変でしたね。それに耐えて続けたことが今日の60年につながったと思います。みなさんとの縁を大事にし、ビジネスに流されなかったのが結果的によかったかなと思います。

 
お客様とのエピソードはいかがでしょう。

それはもう一杯あります。出会いもあれば別れもありますね。何百人、何千人との出会いと別れを経験してきました。この歳になると別れの方が多いかも知れません。退職されて家で悠々自適な方もいれば病気で出て来られない方もいらっしゃいますしね。その半面、洋酒に関心のある若い方も来られます。古いものに憧れるということでしょうか。新しい出会いもあって、それが私たちの支えになっています。新しいお客様も開拓しないといけないですね。

露口さんといえばハイボールですが。

ハイボールだけと言われるのは困ります(笑)。カクテルも作ってお出ししています。ハイボールは水割りブームの前、昭和30年代に飲まれていましたが、40年代にに入って高級ウイスキーを水割りでという時代が訪れました。それがここ6年くらい前からハイボールが復活し、今は若い方にブームになり、年配の方も懐かしいと戻って来てくれています。

露口さんがハイボールの生みの親と聞きますが。

当店でお出ししているハイボールは「昭和のハイボール」です。私が昭和のハイボールをずっと守り続けているということです。昭和30年代はこのスタイルでみなさん出していたのですが、今このスタイルを守っているのは当店だけです。最近人気のハイボールはCMにあるような大きなジョッキに氷を一杯入れて出す「平成のハイボール」で、食べながらビール感覚で飲むものですね。あれはあれでいいと思います。ただ味を楽しむとなると、この8オンスタンブラー(240㍉㍑)でないとバランス的に難しいです。

その昭和のハイボールのこだわりを教えて下さい。

味にこだわっているからこのタンブラーです。修業時代の大阪からこの味です。これは私の師匠が使っていたグラスなんです。バランス的にはこれがベストです。角は炭酸との相性がいいです。ダルマ(オールド)は水割り向きです。高級なウイスキーでハイボールを出している店もありますが、角がいいですよ。(かち割りの)氷を2個、角を約50㍉㍑、炭酸を注ぎ、(底を)優しく軽く混ぜます。少し濃い目で味わうハイボールです。

コースターも素敵ですね。

すごく人気があって、来られたお客様はみんな持って帰られます。このコースター目当てで来られる観光客の方も多いです。観光客の方は道後温泉に入って鯛めしを食べて夜は当店に来て、翌日はことりのうどんという、コースになっているようですね。

サントリーの「角ハイボール濃いめ」(アルコール分9%)を監修されていますね。

当店のハイボールを再現するということで商品開発の方が来られました。よく売れていますよ。

昭和のハイボールは継承されますか。

私は弟子というのは持たない主義なんです。若いバーテンダーも全国から当店に来ますが、それは客として来るのであって、仕事としてそうした継承はしません。彼らが来て飲んで、こういうハイボールもあるんだなとそれぞれ感じ方は違うと思いますが、私から教えることは絶対にしません。最初から弟子は持たない、一代でと決めていました。弟子入りしたいという方は来られます。老舗のバーではお弟子さんを育てられていますが、それはそれでよいと思います。頑固と言えば頑固ですね。

カウンターが味わい深いですね。

これは自慢です(笑)。外材のラワンですが、東南アジアの方では沙羅双樹といって非常に重宝されています。今は輸入できないです。神戸から船で運んでいただきました。当店が閉店したら、サントリー博物館に寄贈しようと思っています。
昭和30年代はウイスキーすら知らないような時代でした。日本酒、ビール、焼酎の時代で、開店当時はウイスキーを初めて口にされる方がほとんどでした。カウンターや8オンスタンブラーとともに、松山の洋酒文化を今日まで大事にしてきたという自負はあります。

これからのバーテンダー人生はいかがですか。

これからは集大成でしょうね。60年を迎えましたので、あとは休みも少し増やしてぼちぼちとやりますよ。周年パーティーのご挨拶でもお話ししましたが、「お客様にお返しできるものがあるとすると、1年でも長く店を開けることでしょうか」と、それしかないです。あと何年やりたいとかいう欲望はないですね、1年1年です。

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