テナントビルなど自社物件を運営管理
松山中心商店街の活性化を支え続ける

久保豊株式会社 社長

久保 素子(くぼ・もとこ)さん

1947年9月7日生まれ、71歳、松山市出身。聖カタリナ短期大学幼児教育学科卒。「歌うことが好き」で、若い頃はコーラスも。「独特の抑揚に魅せられた」という能の謡にも接し、多忙のなか稽古の再開を願っている。(週刊愛媛経済レポート2018年10月8日号掲載)

「久保豊(株)」は大街道・一番町の北側入口近くに拠点を置く、不動産事業会社です。

当社は全て自社物件の管理運営を行い、テナントビル、賃貸マンション、駐車場・駐輪場を総合的にサポートします。業歴135年を数え、明治・大正・昭和・平成と代々商いを続けてまいりました。

歩みが深いですね。

私は久保家12代目になります。1603年(慶長8年)創業のお供商人「久保屋」が発祥で、10代目で私の祖父に当たる久保豊次郎が1883年(明治16年)、現在の大街道2に「久保豊旅館」を開業しました。しかし、戦災に遭い焼野原のなか瀬戸物店や菓子店を営んだ後、大街道の物件の賃貸を始め、賃貸事業の礎を築きました。1966年に「久保豊(株)」として法人化、同年に旧久保豊ビルを新築し、私は1986年に12代目で久保豊(株)3代目の社長に就きました。

その旧久保豊ビルは建て替えられましたね。

当初の同ビル(4階建て)は、1~3階をショッピングセンターとしてお貸ししていました。それから30年して私共にお返しいただいたのですが、耐震対応があり、悩んだ末テナントの皆さんに9ヵ月間お休みいただいて建て替えました。新ビルは6階建てのバリアフリーにし、入口にエスカレーターをつけ、2・3階に無印良品さんに入っていただき、2000年6月に防火優良認定の「久保豊第一ビル」として入居率100%で再開しました。元々のテナントさんのご理解、周囲の皆さんの力もお借りでき、幸運でした。このビルが弊社の事実上の第1号になります。

自社物件をご説明下さい。

テナントビルが5棟、駐輪場ビル・駐車場が3ヵ所、賃貸マンションが4棟です。一部郊外もありますが、大半は大街道2と一番町2の中心部に立地しています。本社隣りに2000年に完成した久保豊第3ビル(5階建て)は、5階にテナント3軒にお入りいただいている以外の1~4階は、駐輪場の「サイクルステーションモンキーズ」として運営しています。当時、中心部の駐輪問題が社会問題化していたことから開設したもので、松山市が大街道に駐輪場を建てられた後、民間では当社が最初に整備しました。こうして大街道2の本社を拠点に一つずつ増やしていきました。入居率は100%です。久保豊第一ビルには11月、新たにカフェがオープンします。

 
事業展開が積極的ですね。

周りの方に助けていただき、そして不思議と出会いがふっとあるのです。自分からこれを売ってくださいと行くのではなくて、周りからどうですかと言われてじゃあやってみようかという感じです。また、こういうのが欲しいなと思っていた時にたまたまお話をいただいたりします。出会いがあり、紹介があって、今の形になったという感じですね。

大半が大街道から一番町の中心商店街にありますね。

私たちは自社で管理していますので、本社から歩いて行ける範囲が中心になります。郊外の物件は昭和の時代に個人的に私が購入したもので、完済していることもあり、久保豊に譲ろうということです。駐車場だけはやってみたいという思いがあって100円パーキングを作りました。色々なご縁があったところだけが手元に残っているという感じです。

入居に空きがありません。

歯抜けになると入居している既存のテナントさんに影響があります。何よりも人の流れが変わってくるので、そのことを一番に重要視しています。ですから埋めていかなくてはならないですが、何でもいいというわけではありません。うまくバランスを取って中身を作るという努力はしています。

テナントさんとの交流もあるように聞いています。

私の誕生日には誕生パーティーを開いていただき、お呼びいただくこともあります。入居している塾業者さんでは私に対する質問コーナーの「素子に聞け」というのを作っていただき、様々な質問を箱に入れてもらってそれに対して私なりにお答えするという場面を設けていただいているので、若い人たちとの交流もあります。古いテナントさんともざっくばらんな話ができるので、コミュニケーションは取れていると思っています。

スタッフは長く勤務されている方が多いのですか。

現在12人で、若い方もいますが、1人は74歳の今も現役で頑張っています。色々な場で活躍してもらうようにしています。

長く中心商店街を見てこられ感想はいかがでしょうか。

だんだん県外資本が増え飲食が多くなりましたね。結果、昼間にお店が開いていないことが一番の悩みですね。昼間の商店街が暗くなります。飲食店にとり昼間に営業することは、単価は安いし人件費はかかるしロスも出て大変なんです。でも商店街はお昼に歩いている方が多いので、ちょっと寂しいかなと思います。また、物販が少なくなり、老舗のいいお店が徐々に閉められている寂しさもありますね。もうちょっと物販もバランスよく欲しいなと思うところはあります。

まちづくりへの思いはいかがでしょうか。

一時期は相当燃えていたのですが、歳を重ねるに従って意気込みがやや弱くなったかなと思います(苦笑)。かつて大街道商店街振興組合に私と他の女性理事の方たちと3人で女性会の「ひまわりの会」を立ち上げました。以前はCSR活動としてみんなで清掃活動を行い、今はプルタブ、古切手、キャップを集めています。「俳句甲子園」のお接待は同会の事業として今も続けています。私は一昨年会長を務め、後進にバトンタッチしたところで、今は自身の体調や仕事の忙しさに合わせて会合に出席しています。
また、かつては道後商店街の女性の皆さんと商店街マップを2回作り、そのエネルギーの中から私もいい刺激をたくさんいただき、学ばせていただきました。道後さんは今もなお盛り上がっていますが、残念ながら両者の連携はなくなりました。まちづくりには燃える体力と気力が大切ですね。誰か後ろから一押ししてくれたらまた元気を出して踏ん張ろうかという気持ちになるかもしれないです(笑)。

久保さんは多くの公職や団体職に就かれていますね。

松山商工会議所常議員、松山法人会第二支部支部長、愛媛県なぎなた連盟会長、全日本なぎなた連盟副会長などの他、充て職も多いですよ。昨年のえひめ国体でも頑張りました。今私が受けている役目をできるだけスムーズに次の方にバトンタッチするのが私の役割かなとも思っていますが、役割をいただいている限りは責任もってできる限りやり遂げるつもりです。

今後の事業展望はいかがでしょうか。

私はこれまで、色々なことにチャレンジしてきましたが、私一人の時代はもう終わりかなと感じています。そろそろ次世代に譲らないといけない時代がきており、できるだけこの土地、建物は守ってもらいたいということは息子に伝えています。さらなるビジョンよりもまずは息子をどのように育て、事業承継していくかというのが私の大きな課題です。また、私と息子をうまくつないでくれる従業員も育てていかなくてはなりません。私の場合は私と先代の間をつないでくれる従業員がいました。そういうつなぎがあるから今の久保豊があると思っています。先代が亡くなった後もその従業員が私を支えてくれていました。事業を代々残していくにはそういうことが必要だと思います。

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